テキサス・レンジャーズ TEXAS RANGERS


テキサス・レンジャー (The Texas Ranger) とは、米国テキサス州公安局 (Texas Department of Public Safety) に属する法執行官である。この名称は200年近く前にその原型となる民兵組織から発達した "The Texas Rangers" を源とし、「北米大陸最古の州管轄法執行組織」という歴史を持つ。
メジャーリーグのチーム「テキサス・レンジャーズ」は本隊にちなんで命名されたものである。

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(スタッフ)
監 督:スティーヴ・マイナー
原 作:ジョージ・ダーハム
脚 本:スコット・バスビー、マーティン・コープランド
撮 影:ダリン・オカダ
音 楽:トレヴァー・ラビン

(キャスト)
リンカーン・ダニソン  ……ジェームズ・ヴァン・ダ・ピーク
リアンダー・マクネリー ……ディラン・マクダーモット
シビオ           ……アッシャー・レイモンド
ジョージ・ダーハム   ……アシュトン・カッチャー
ジョン・アームストロング……ロバート・パトリック
キャロライン・デュークス……レイチェル・リー・クック
ベルディータ       ……レオノア・ヴァレラ
キング・フィッシャー   ……アルフレッド・モリー

(2002年10月19日 日比谷スカラ座2)

(解 説)

 両親を無法者のキング・フィッシャーに殺されたリンカーン・ダニソンが、テキサス・レンジャーズに入隊し、マクネリー隊長やアームストロング軍曹の指導のもとに、テキサスの正義を守る立派なレンジャーに成長していく物語で、ジョージ・ダーハムとの友情、キャロラインへの恋心を絡めて、アクションたっぷりに描かれています。
 テレビを中心に活躍しているB〜C級のスタッフ、キャストですが、映画は金をかければ良いわけじゃなく、いかに面白く仕上がっているかが重要なので、私はこの作品を大いに楽しめましたよ。

 物語そのものは、単純なのですが、アクション娯楽映画の基本通りなので好感が持てます。
 アクション娯楽映画は決められた法則にのっとって物語が展開します。観客はそのことを暗黙のうちに認識することにより安心感を持ち、アクション娯楽映画を楽しむことができるんですね。
具体的に説明しますと、
(起) 最初に悪党が登場し、その無法ぶりを観客に認知させる。そして、ヒーローが現れ、観客へ期待を抱かせる。
   →キング・フィッシャーが町の住人を殺し、生き残ったリンカーンテキサス・レンジャーズに入隊する。
    マクネリー隊長が、拳銃の腕前を披露する。
(承) ヒーローは悪党の無法を妨害する。
   →別行動をしていたキング・フィッシャーの部下をレンジャーズが捕らえる。
(転) 悪党の反撃によりヒーローはピンチに陥いる。
   →キング・フィッシャーの本隊に奇襲をかけるが、それは罠で、レンジャーズは仲間を失う。
(結) ピンチを脱したヒーローは最後の戦いで悪党を倒し、勝利をおさめる。
   →レンジャーズは、デュークス牧場で体制を立て直すが、偽の情報でおびき出された隙に、キング・フィッシャーにデュークス牧場が襲われる。
    レンジャーズはキング・フィッシャーを追って国境を越え、勝利に油断しているキング・フィッシャーの隠れ家を   奇襲して壊滅させる。
と、なります。

 もうひとつ気に入ったのは、うまく史実と絡め(史実通りということでなく)、史実との融合がうまく図れていたことですね。
 テキサス・レンジャーズの発足は、まだテキサスがメキシコ領であった1826年に、インディアン、とくにコマンチ族の襲撃から移住民を守るために、隊員を募集したのがはじまりと云われています。そして、テキサス独立後の1840年に正式の警備隊として組織化されました。
 1845年、テキサスが州の一つになり、翌年、メキシコ戦争が起こると、テキサス・レンジャーズは、州の軍隊として参加しています。
 “馬はメキシコ人の如く、追跡はインディアンの如く、射撃はテネシー人の如く、戦いは悪魔の如し”と云われたレンジャーズも南北戦争が終わった時、政府の圧力により解散し、州立警察が治安にあたります。しかし、レンジャーズほどうまくいかなかったらしく、1874年、再びテキサス・レンジャーズが組織されます。組織は、州内のインディアンの蜂起や、列車強盗などの凶悪な集団強盗に対応するフロンティア部隊と、メキシコ国境地帯に駐屯して国境警備や家畜泥棒に対応するスペシャル部隊の二つのグループに別れ、スペシャル部隊の指揮をとったのがリアンダー・マクネリー大尉でした。
 隊長のリアンダー・マクネリーですが、テキサス生まれで、17歳で南軍に参加。19歳で斥候隊の大尉になります。
 戦後、1870年にテキサス州警察の隊長になりますが、州警察が解散してレンジャースが再建された時、その中心となって特別部隊を率いてメキシコ国境を守り、国境の無法者を取り締まりました。国境付近はまったくの無法地帯で、白人およびメキシコの無法者が盗みや殺しを日常茶飯事としていたんですよ。その中のひとりに、この映画の悪の主人公ジョン・キング・フィッシャーがいます。キング・フィッシャーについては後述します。
 マクネリーは、30名の隊員を率いて国境を越え、家畜を奪ったメキシコの無法者300人を襲って壊滅させたという伝説が残っています。
 彼は、小柄でほっそりとした身体で、優しい声をしていたそうですが、勇敢なことでは隊の誰にも負けず、隊員と一緒になって銃火に身をさらしました。
 彼の活躍は、隊長としての2年たらずの間で、結核のため1876年10月に亡くなっています。

 一方、キング・フィッシャー(左:実像写真)ですが、常にメキシコ風の服に大きなソンブレロをかぶり、腰には象牙の銃杷の二挺拳銃。腕前は一流です。
 ケンタッキー生まれで13歳の時にテキサスへ移り、カウボーイとなります。16歳の時にはじめて人を殺し、一時メキシコへ逃げますが、メキシコ人の部下を引き連れてテキサスへ戻り、イーグル・パスを根城に家畜泥棒に励みます。部下になった者は、延べ100人以上といわれています。
 20人を殺した罪に問われましたが、武装した部下を引き連れてラレドの裁判所に乗り込み、無罪となりました。レンジャーズが再建されるまでの数年間は、イーグル・パスに君臨しましたが、マクネリーを中心とするレンジャーに、仲間を次々に捕らえられ、家畜泥棒から足を洗います。彼自身も9ヶ月投獄されていますが、殺人に関しては有罪とする証拠が出なかったんですよ。
 1876年4月に結婚し、牧場を持ちますが、やがて彼の腕を見込んだ友人のシェリフが彼を助手に任命します。さらに、彼自身がシェリフに当選するんですね。1887年、サン・アントニオの酒場で殺されます。
 マクネリーとキング・フィッシャーの伝説を組み合わせて、ひとつの物語にしたみたいですね。

ところで、テキサス・レンジャーを扱った映画は過去にも色々あります。題名そのものなのが、『テキサス決死隊』(1936年)と、リメイクした『テキサス決死隊』(1949年)。
 ビデオのタイトルが『続・テキサス決死隊』は上記作品の続編ではなかったけど、主人公はテキサス・レンジャーでした。
 トム・トライオン主演の『テキサス・レンジャー』と、続編の『テキサス・レンジャー/サンドバルの決闘』は、実在したジョン・スローターが主人公でした。
 ジョン・ウェインがテキサス・レンジャーになったのが『コマンチェロ』で、ゲーリー・クーパーは『北西騎馬警官隊』でテキサス・レンジャーを演じていましたね。オーディ・マーフィにも『情無用の拳銃』があります。
 テキサス・レンジャーズは軍隊組識で、『勇気ある追跡』のグレン・キャンベルは軍曹で、『コマンチェロ』のウェインは大尉じゃなかったかな。
 テレビでも、『テキサス決死隊』という30分西部劇がありましたよ。『ロンサム・ダブ』も、元テキサス・レンジャーが主人公でしたね。

 久しぶりに西部劇を堪能しました。


歴史 [編集]
1823年 メキシコの一州であったテキサスのスティーブン・F・オースティン (Stephen F. Austin) およびその副官であったモーゼ・モリソン (Moses Morrison) が何名かの志願者を雇い、インディアンの襲撃から移住者を守るために民兵組織を創設したのが始まりとされる。
1836年 メキシコからの独立戦争(テキサス独立戦争)および1846年の米−メキシコ(米墨)戦争ではテキサス軍の斥候として、また、実戦にも参加して活躍した。
1861年 南北戦争ではテキサス州民の保護活動を行ったが、テキサス州が加盟していた南軍の敗北後に生じた混乱により一時実体を失った。この時期まで、かつてメキシコの一州であった歴史から、ヒスパニック系や移住者に味方するインディアンのレンジャーも多数存在した。
1874年 無法者 (outlaw) 達の跳梁跋扈に手を焼いたテキサス州政府は2つのレンジャー隊を認可。この時期のレンジャーの活躍が後の西部劇映画等の題材を豊富に提供している。
1915年 サンディエゴ計画 (Plan of San Diego) と呼ばれるメキシコ過激派組織による米南部諸州への襲撃計画が発覚し、これに備えるためレンジャーの大増員が行われた。この際の犯人摘発を理由とした各種の暴虐行為により批判を受け、結果的に大幅な人員削減が行われた。
1930年前後 汚職事件や女性知事ミリアム・ファーガソン (Miriam A. Ferguson) によるレンジャーの恣意的任命などに嫌気し、ベテランのレンジャーが次々と辞職した。
1935年 新しい州法によりテキサス・レンジャーは州公安局に属することとなり、現在の組織形態の原型が形作られる。
現在のテキサス・レンジャー [編集]
1836年から1845年までの間、現在のテキサス州はメキシコから独立したがアメリカへの編入ができず、テキサス共和国 (Republic of Texas) として独立国家であった。このとき既にテキサス・レンジャーズは国境警備や治安維持といった警察機能を担っていたという功績に敬意を表し、現在でも行政組織のなかでは州警察と同格の位置づけを与えられている。
制度上のテキサス・レンジャーは、テキサス州公安局の中の 5 つの主要な部 (Division) のうちの一つとして位置付けられた「テキサス・レンジャー部 (Texas Ranger Division)」に所属する 100 人強の法執行官らを指す。逮捕権を持ち、犯罪捜査等において他の部 (Division) や郡警察 (County Police) への助言・協力と協調捜査を行うとされるが、テキサス・レンジャー部の専権業務はあまり無く、この意味では「レンジャー」の称号は「名誉職」的意味合いも併せ持つ。
レンジャーに就任するには8年以上の法執行官としてのキャリアと 2 年以上のテキサス公安局における職歴等の資格要件がある。つまり仲間内からしか新しいレンジャーは生まれない。また、現在は空席の補充以外に採用機会はない。平均年齢も 45 歳を超えるものとなっている。そのエリート性から同時に SWAT でもある。
歴史と伝統に基づく誇りを大切にし、現在でも新任のレンジャーはブーツ、白のカウボーイハット、ピストルベルトを前任者より引継ぐ。発足当時より、僅かな日当以外、馬や銃などの装備類はすべて自分持ちであったことから、現在でも制服はない(一般的な服装はカウボーイハット、ウエスタン・ジャケットにワイシャツとネクタイ、コンベンショナルタン色のギャバジンのスラックスが多いという)[1]。日常業務時には胸にバッジを付け、ブーツを着用することになっている。一般に武装は .45 口径のM1911A1または .357 口径マグナムリボルバーであるが、未だにコルトSAAを携行するレンジャーもいる。
組織 [編集]
テキサス州内を6つの地区に分け、それぞれをAからFにいたる名称のカンパニー(分隊。レンジャーが10ないし20人ほど在籍)が管轄する。このほかにこれらカンパニーを統括する本部 (Head Quarter) および未解決犯罪班(Unsolved Crime Unit、カンパニー "G" といわれることもある)がある。
その他 [編集]
1987年の州法改正によりテキサス・レンジャーは廃止されないこととなった。条文は“テキサス・レンジャーに関係する部門はこれを廃止してはならない ”(The division relating to the Texas Rangers may not be abolished.) 。
現行バッヂの素材は、メキシコの実物コインである。
現在レンジャー達が胸に着けているバッヂは1961年から使用されているもので、1938年から数えると3代目にあたる。
SERGEANT(現在OFFICERランクはいない)からLIEUTENANTランクまでは「クワウテモク王の5ペソ銀貨」、CAPTAINからCHIEFランクまでは「勝利の女神50ペソ金貨」が継続して使用されている。(写真参照:現行SERGEANTランクバッヂとクワウテモク王5ペソ銀貨の表・裏面)
いずれもサークル・スターを直接、王と女神の面に打ち抜いているため、裏面はコインの刻印が、周囲にはコインのギザギザが残っている。


テキサス・レンジャーのバッジ
「影」の部分 [編集]

正義のヒーローとして数々の武勇伝に飾られたテキサス・レンジャーであるが、その「正義」とは専らアングロサクソンアメリカ人の視点からのものであって、先住民であるインディアンや、国境を接するメキシコ人達にとっては全くの「不正義」といえるものであった。とりわけメキシコ人に対しては「文明的に劣っている」と信じていたため、法執行官という権力を持つ者が行った悪辣な暴虐の類は目を覆うものが数多い[2]。インディアンにいたっては後年、キリスト教徒でないという理由だけで人間として扱うことすらなかった。
「盗まれた牛馬を取り返す」のを理由としてしばしば集団でメキシコへ越境し、(結果として)無関係のメキシコ人多数を銃で撃った
米墨戦争終結時のグアダルーペ・イダルゴ条約において保証されていたテキサス州内の元メキシコ人らの各種権利をことごとく反故にする企みの手助けに、テキサス・レンジャーの法執行権限が悪用された[2]。場合によってはテキサス・レンジャーが主導的に行うこともあった。
サンディエゴ計画に端を発する急激なレンジャー増員では、その質が大いに低下し、事後に行われた議会による調査だけでも相当数の暴虐行為が露見した[2]。
しかし、こうした批判は完全に的外れだという指摘がある。
例えば日本では過去に京都の治安を守るために新選組はあらゆる手段を尽くした。 新選組は人材不足に悩む幕府が即興で作った剣客集団であり、その殆どが我流で戦う農民で占められるなど隊士によって質の差が大きかった。 維新志士に協力した疑惑、あるいは倒幕思想を唱えたという理由だけで非武装の町民を殺害したり、志士に対して当時は合法だった凄惨な拷問をするなどした。 新選組だけではなく、後の維新政府も治安を乱す士族に対し同様の行為を働いた。
同じくテキサス・レンジャーにおいても当時の(現代では悪とされる)「白人以外を人間とは見做さない差別的な法」を遵守し、現地で多数派の正義であった「キリスト教徒の白人を野蛮な未開人から守る」ためにあらゆる手段を講じたにすぎない。 現代の、しかも無関係な(先住民でもメキシコ人でもない)第三者の外国人による価値観で、歴史上の命を賭した警察的行動を評論する行為に対する批判がある。