Saving Private Ryan プライベート・ライアン

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良い映画。

プライベート・ライアン』(原題"Saving Private Ryan")はアメリカで1998年に公開された戦争映画。第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦を舞台に、1人の兵士の救出に向かう兵隊たちのストーリー。監督はスティーヴン・スピルバーグで主演はトム・ハンクス。救出されるライアン役をマット・デイモンが演じている。製作・配給はドリームワークスとパラマウント
概要 [編集]

原題は「ライアン一等兵の救出」という意味。"Private"は米陸軍において二等兵及び一等兵を表す。袖の階級章の有無で両者を区別する。また日本ではライアンの階級は二等兵と表記されているが、正確な彼の階級は”Private(RV2)”一等兵である[要出典]。
リアルな映像をものにするため、撮影には三脚を使わずハンディカメラが多用された。敵の攻撃を受け手足が吹き飛ぶ、内臓が飛び出る、炎に包まれて爆死するなど、戦場の現実を生々しく描き、これまでになかった戦争映画として高い評価を受けた。特に、冒頭から始まり約20分間にも及ぶオマハ・ビーチにおけるノルマンディー上陸作戦を描く戦闘シーンは、映画史に残る20分間として知られる。アカデミー賞では11部門にノミネートされ、興行面でも全世界で大きな成功を収めた。
スピルバーグトム・ハンクスはその後も、共同でテレビ向けのミニ・シリーズ『バンド・オブ・ブラザース』や『ザ・パシフィック』を制作し、第二次世界大戦についての興味を追求し続けている。
キャッチコピー [編集]

「選ばれた精鋭は8人── 彼らに与えられた使命は 若きライアン上等兵を救出する事だった……」
「ノルマンディ大激戦の陰に 選ばれた8人の兵士達による たった一人の新兵を救出する作戦があった……」
ストーリー [編集]

史上最大の作戦」ノルマンディー上陸作戦。掩蔽壕の機関銃座から猛烈な銃撃を受けながらもオマハ・ビーチ上陸作戦を生き残った米軍第5軍第2レンジャー大隊C中隊隊長のミラー大尉(トム・ハンクス)の下に、米第7軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第1大隊B中隊に所属するジェームス・ライアン上等兵マット・デイモン)をノルマンディー戦線から探し出し無事帰国させよ、という任務が下った。ライアン家の4人兄弟はジェームス以外の3人の兄弟が戦死し、彼が唯一の生存者であった。息子たちの帰国を本国で待つ母親に息子全員の戦死の報せが届くのはあまりに残酷だ。たった一人だけでも生かし、母親の下に息子を返してやりたいという軍上層部の配慮だった。ミラーは兵士一人を救出するために彼の部下の命を危険にさらす任務に乗り気ではなかったが、危険極まりない敵陣深く進入し、ジェームス捜索を始める。
製作 [編集]

スティーヴン・スピルバーグ監督による『太陽の帝国』、『1941』、『シンドラーのリスト』以来4作目となる第二次世界大戦をテーマにした作品。スピルバーグは後に、第二次大戦でB-25の無線士として太平洋戦線に参加していた“父 アーノルド・スピルバーグに捧げた”、と語っている。本作はフィクションであるが、基になったナイランド兄弟のエピソードは存在する(詳細は後述)。約3時間にも及ぶ長編映画にもかかわらず、わずか60日間という凄まじい早撮りで作品を完成させた。
撮影に入る前、トム・ハンクスをはじめとした出演者たちは、リアルな演技をするために元海兵隊大尉のデイル・ダイの協力の下、ブートキャンプ同等の訓練を10日間受けさせられた。その間は教官がいきなり俳優達に向かって発砲(空砲)したり、当時の兵士達が持ち歩いていた道具と装備を全て背負わせて延々と行軍させたりと内容的にとても厳しいものであった。ライアン一等兵役のマット・デイモンはこの新兵訓練の参加メンバーから意図的に外された。これは10日間の過酷な訓練を通じて救出隊のメンバーにマット・デイモン=ライアン一等兵に対する反感を植えつけるためであった。俳優らは2週間にも及ぶ戦闘場面の撮影に酷使され、疲労の色も濃く、撮影当初の和んだ気分も消えて荒んでいた上に、現場の進行を知らない新進気鋭のデイモンが新兵よろしく撮影途中に現場到着した時には、当初の意図通り剣呑な雰囲気となり、それらとの相乗効果でリアルで緊迫した演技へと集約され、作品テーマの一部に組み込まれる。
ロケはイギリスで行われたが、冒頭の“Dデイ”におけるオマハ・ビーチ上陸作戦のシーンはアイルランドで撮影された。実際のオマハ・ビーチは歴史的に保護されているだけでなく、開発もされてしまっていたため、プロダクション・デザイナーのトム・サンダースは何週間もの調査を行ってロケ地を探し、よく似た浜をアイルランドで発見した。アイルランド陸軍はエキストラとして250名の兵士を貸し出した。現役の兵士であることから統制がとれており、大人数にもかかわらず撮影はスムーズに進行した。この兵士達の大半はメル・ギブソンの『ブレイブハート』にも出演していた。
機関銃の銃声は本物の銃声を録音して使用している。現地リエナクター(歴史再現家)達の手によって、米軍やドイツの武装親衛隊の軍装には実物や正確なレプリカが用いられ、兵器・車両は可能な限り実物が使用されている(ケッテンクラートなど)。後半に登場する2輌のティーガー戦車は、ソ連製戦車T-34-85を改造して作られた。また自走砲のうち一輌は、ドイツ軍のマルダーIIIH型と似ているが、同じ足回りを持つスウェーデン軍のSav m/43である。劇中、日本語吹き替えのセリフでは、この模造“マルダーIII”は「パンサー戦車2輌」と呼ばれてしまっており、完全に誤訳である[3]。最後の戦闘シーンの締めくくりには、M4中戦車役のグリズリー巡航戦車もチラリと姿を見せている。これらの車両は『バンド・オブ・ブラザース』にも転用されている。

ナイランド兄弟 [編集]

この映画はナイランド兄弟の事が基になっている。
ライアン上等兵のモデルとなったフレデリック・ナイランド三等軍曹には、エドワード、プレストン、ロバートの三人の兄がいた。フレデリックはDデイ初日に、輸送機パイロットのミスで予定の降下地点からかなり離れた内陸地点に降下してしまい、なんとか原隊に復帰したところ、部隊の従軍牧師から3人の兄全員が戦死したと告げられた。国防省ソウル・サバイバー・ポリシー巡洋艦ジュノーに勤務していたサリバン5兄弟が、ジュノー撃沈によって全員死亡したことを受けて制定されたルール)に基づいてフレデリックは前線から引き抜かれ、本国に送還されることとなった。
フレデリック本人はそれほど帰国したかったわけではなかったらしく、しばらくは部隊と行動を共にしていたが、従軍牧師が書類を提出してしまったため、上層部に認可された後は帰国するしかなかった。帰国後、彼は終戦までニューヨーク州憲兵として勤務していた。
映画と違い、フレデリックが原隊に自力で復帰した事からも分かるように、救出隊が組織されたと言う事実はない。また、母親のナイランド夫人は実際には未亡人ではなかったが、息子3人の死亡通知を同時に受け取ったと言うのは史実らしい。ちなみに長兄エドワードは実際には戦死しておらず、ビルマの日本軍捕虜収容所に収監されていたが英軍に救出され、その後、無事帰国している。