ズール戦争

ファイナルアタック

途中の銃撃戦

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映画は2種類あるので注意。
・イサンドルワナの戦い
・ロルクズ・ドリフトの戦い

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ズールー戦争

ズールー戦争(英語:Anglo-Zulu War)は1879年に大英帝国南アフリカのズールー王国との間で戦われた戦争である。この戦争は幾つかの血生臭い戦闘と、南アフリカにおける植民地支配の画期となったことで有名である。英植民地当局の思惑により、本国政府の意向から離れて開戦したものの、英国軍は緒戦のイサンドルワナの戦いで槍と盾が主兵装で火器をほとんど持たないズールー軍に大敗を喫して思わぬ苦戦を強いられた。その後、大英帝国各地から大規模な増援部隊が送り込まれ、近代兵器を用いた英軍は王都ウルンディを陥落させ勝利した。この戦争の結果、ズールー国家の独立は失われた。

イサンドルワナとロルクズ・ドリフト
3個縦隊の侵入は妨げられず、1月22日に第三縦隊はイサンドルワナ近くに野営した。この日の早朝、チェルムスフォードは偵察隊を支援するため彼の部隊を分割して出動した。チェルムスフォードが野営地を去った後は ヘンリー・プレイン中佐が野営地の指揮を執った。ダンフォード中佐の第二縦隊の一部500人が到着し、野営地の兵力はヨーロッパ兵800、アフリカ兵900になった。だが、チェルムスフォードは野営地に防御陣地を構築しないよう命令を与え(地面が固すぎるためだった[8])、そしてズールー軍の接近情報も無視してしまっており、全ては手遅れとなった。
午前11時30分、ズールー軍2万がイサンドルワナの野営地に突撃をかけた。「猛牛の角」と呼ばれるズールー軍の三方向からの猛攻を英軍は支えきれずに蹂躙され壊滅する。英軍はヨーロッパ兵806人、アフリカ兵471人が犠牲となり[9]全滅、ズールー軍も3,000人が死傷しているが、イサンドルワナの戦いはこの戦争中にズールーが得た最大の勝利となった。
23日未明、イサンドルワナから15kmのロルクズ・ドリフトの伝道所跡に築かれた砦の英軍守備隊へ勢いづいたズールー軍4,000が襲いかかった。ジョン・チャード中尉の守備隊はアフリカ兵が逃亡してしまいイギリス兵139人に過ぎなかった。40対1の戦力比にも関わらず、英軍は奮戦して2日間も持ちこたえ、イサンドルワナから退却してきたチェルムスフォードの部隊が接近したためズールー軍はようやく撤退した(ロルクズ・ドリフトの戦い)。犠牲者は英軍が戦死13人、負傷14人、ズールー軍が戦死351人。チャード中尉以下の守備隊将兵11名にヴィクトリア十字勲章が授与された。
イサンドルワナの敗報は白人植民者の間に急速に広まった。彼らは防備を固めるか、より安全なピーターマリッツバーグやダーバンへ逃げ出した。英国はナタール侵攻を恐れたが、ズールー軍はこれまでの戦闘で5,000人を失っており、戦果を拡張させる余力はなかった。